現代英語の文法を探求する

英語学とその隣接領域に関する見解を個人の立場で記述しています。

帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です#2

1. 「第一回大学生数学基本調査」の「問1-2」に着目した2つの理由

1.1. 「論理的に考える力」を正しく診断しているのだろうか?

 

(1) 帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です。(All non-P are S.)

 

 日本数学会の出題(問1-2)で不思議に思うのは,対偶を取って考える「必然性」がどこにあるのか説明がないことです(ちなみに,定言命題でcontrapositiveを考えると,「ヘンペルのカラス」のように,自然言語の直観に反する結論を導くことがあります)。

 

 (1)は,見かけ上,定言命題の体裁をとっていますが,実際には,集合の問題です。non-P の集合が“closed”になるのがどのような場合なのか,集合S の「要素の数」との関係で考える問題です。つまり,Sに(そしてSにのみ)視点を置いて考えればよい問題です。それにもかかわらず,non-S (文脈上,2項対立関係にある「男の子」)の集合にも視点を置いて考えなければならないと判断した根拠がどこにあるのか不思議に思います。

 

 素材の特性から見て,本質的に出題すべきポイントと直接関連しない領域について尋ねているように見えます。本当に考えるべきところで考えることをしないで,表面的な部分を見て,手続きに従った「計算」をさせているのに過ぎないように見えるのです。つまるところ,問1-2は,出題者としての適格性,さらに言えば,教師としての適格性に疑念を感じさせる問題なのです。

 

 根本的なことで言えば,「論理的に考える力」を育むのに,果たしてこれでいいのだろうか? ...と考えさせる出題なのです。言い方を換えれば,これからの日本を,世界を生きていく人々を育てるのに,本当は何をしなければならないのか?という課題を提起している,と言えます。

 

1.2. RSTのサンプル問題は,日本数学会の出題(問1-2)と共通の課題を内包する

 日本数学会の問1-2の抱える問題点と,同様の問題点を抱えていると言えるのが,リーディングスキルテスト(RST)です(社会的影響力の大きさという点でも,両者は互角と考えられます)。このテストは,「論理的な読解と推論の力」の重要性に対する認識から開発されたものですが,その一番のきっかけとなっているのが日本数学会の出題した問1-2にあるのです(「予稿集」注8を参照のこと)。

  

 RSTの基本思想を反映している(はず)のサンプル問題を見ると,問1-2と同様のミスが認められます(開発の中心となって努力された方の志は賞賛に値するものだと思います。むしろ,言語系の諸科学の研究者が,教育の最前線において「論理的な読解と推論の力」の育成を支援するように,研究成果を還元する姿勢がこれまで見られなかったことこそが問われるべきだったと思います)。

 

 最近の風潮としては,どう学力を身に着けさせるか工夫することに努力が傾注されるのではなく,とにかくテストさえ義務づければ,学力がついてくるはずだという,本末転倒な認識に基づく状況が蔓延している印象があります。

 

  しかも,そのテストというのが,正しく学力を診断できているかどうか,考えることもなくです。

 

 新たなテストに対応するために,誤った理解を定着させることになったり,さらに言えば,本来,学習者が持っていたはずの潜在的可能性が将来的に奪われたりはしないかという懸念を強く感じるのです。

 

 次回以降,何回かに分けて,RSTの理論的基盤となっているサンプル問題の「出題ミス」について考えてみたいと思います。今日は,最後に,RSTのサンプル問題の中でも,誰にでもわかるタイプの「出題ミス」を取り上げます。

 

(2) 

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                                                                               (朝日新聞デジタル 2017年11月7日)

 

 

 「アメリカ合衆国以外の出身の選手」という表現に着目すると,これは,「メジャーリーグの選手(100%)」という全体集合を「アメリカ合衆国出身の選手(X%)」と「アメリカ合衆国以外の出身の選手(28%)」という2つの部分集合に分けて考えていることを示しています。従って,「アメリカ合衆国の出身の選手」の全体に占める割合は,「メジャーリーグの選手(100%)」-「アメリカ合衆国以外の出身の選手(28%)」=72%となります。

 

 「メジャーリーグの選手」については,実数が提示されていないので%だけで考えればよい問題となりますので,この72%に着目して,②が正解となる…ように見えます。

 

 しかし,ここで注意しなければならないのが「適当なものをすべて」という指示です。

 

 「すべて」というのは「正解が少なくとも一つある」ということではありません。現代の論理学では,allの意味を考える時に‘there are some’という存在の前提を考慮しないからです(論理学で言うsomeとは,可算名詞との関係においては,'at least one'の意味で考えることを指します)。

 

 論理的に言えば,この場合の「すべて」というのは‘all if any’を意味します。if anyというのは,厄介な表現ですが,その意味は,‘there may be none’です。つまり,「正解が一つもない」場合を含むのです。

 

 そこで,②が「本当に正解になるのか?」「検算」するというミッションが新たに発生します。

 

 「ドミニカ共和国出身の選手」は,円グラフで見ると,「アメリカ合衆国以外の出身の選手(28.0%)」の中の9.8%を占めているので,「アメリカ合衆国以外の出身の選手」に占める割合については,9.8÷28.0×100を計算すればよいのですが,その結果はというと…35.0です。34.2でも36.4でも35.8でもなく,ちょうど 35になります。

 

  about 35ではなくexactly 35になるのです。

 

 「下記の文」では「およそ35%」と指定していますが,円グラフでは「ちょうど35%」となっているので,「下記の文」と一致する「円グラフ」は存在しない,ということになります(念のためですが,「1個95円のパンを2個買って,1本65円のジュースを1本買ったら(税抜きで)いくらになりますか?」と聞かれて「およそ255円です」と答えたら,それは正解になるでしょうか?)。

 

 つまりは,実際のところ,②は正答ではない,のです(2020年以降のセンター後継試験では,「適当なものをすべて」選ぶタイプの出題もあるようなのですが,選択問題形式を複雑化することが正しい学力評価につながるのかという問いとも関係してきそうです)。

 

 問題の基本設計において,「緻密さの要件」を満たしていないということは,出題者としての適格性の初歩的要件を満たしていない,としか言いようがないように思います。

 

追記:

 日本数学会の問1-2に戻ると,All non-P are S.でも,同様に,allに存在の前提がないと現代論理学では考えます。仮に,これを条件文で表すことができるとすると,For all x, if x is a non-P, then x is an S.となりますが,allに存在の前提がないので,論理的には,being a non-Pというpropertyを持つxが存在しない場合が考えられます。問題文では,There are non-P.という指定がないので,前件が偽となる場合が考えられます。

 従って,All non-P are S.が真である場合,問1-2では,「帽子をかぶっていない子供」が一人もいない場合についても考慮する必要がでてくることになります。