現代英語の文法を探求する

英語学とその隣接領域に関する見解を個人の立場で記述しています。

Alexandraの愛称はAlexである

                         帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です#5

                             -Alexandraの愛称はAlexである-

  1. 教科書が読めていない出題者

 今日は,(1)に引用する問題について考えてみたいと思います。

 

(1) 

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(新井紀子. 2016. 「AIが大学入試を突破する時代に求められる人材育成 資料3-1」)

 

 (    )内には,選択肢AのAlexが入ると出題者は主張しています。これは,結局のところ,「(2a)と(2b)が同義文である」と出題者が理解していることを示します。

 

(2) a. AlexはAlexandraの愛称である。

      b. Alexandraの愛称はAlexである。

 

   この理解は果たして正しいでしょうか?

   英語で考えてみると問題点がはっきりします。

 

 先に進む前に「愛称」をどう訳すか見ておきましょう。Alexandraは,syllabicationから見ると,Al・ex・an・draのように4つの音節に区切ることができます。この点を頭に入れて,AlexとAlexandraの2つを見比べると,Alexというのは,Alexandraから第3音節以降を切り取って「短くした形」であることが分かります。この点に着目して,「愛称」をshort formで表現することにします。

 

  すると,今回のポイントは,(2a)を英語で考えた時に,対応する文が(3a)なのか(3b)なのかという問題に帰着します。

 

(3) a. Alex is a short form of Alexandra.

      b. Alex is the short form of Alexandra.

 

 X is Y.の形式で,XとYの位置を入れ替えても文として成立するのは,Yが定名詞句の場合に限られます。従って,「(2a)と(2b)が同義文である」という出題者の主張が正しいと仮定した場合,(2a)と(2b)のそれぞれに対応する英文は,(4a)と(4b)ということになります-(1)で問題にしているAlexは,人そのものではなく,人の名前を指す点でメタ言語的に使われていますが,この点については議論しないことにします。

 

(4) a. Alex is the short form of Alexandra.

     b. The short form of Alexandra is Alex.

 

 (4a)は二通りの解釈が可能ですが,同様のことが(4b)にも当てはまるかどうかはよく分かりません。仮に(4b)が二義的であったとしても,もっとも自然な解釈はspecificationalな解釈だと考えられます。指定文とは何かというのも単純ではないのですが,ここでは「the short form of AlexandraとAlexが,それぞれ,wh-疑問文とその答えの関係となる文」と考えておくことにしましょう。

 

 つまり,(4b)というのは,The answer to the question “What is the short form of Alexandra?” is “Alex.”と考えるのです。すると,the short form of Alexandraの中に隠れているwh-疑問文に対応する「すべての可能な答え」は「Alex一つ」ということになります。

 

 それでは,日本語の世界に戻りましょう。

 

(5) AlexはAlexandraの愛称である。[=(2a)]

 

 ここまでを整理すると,出題者は(2a)を「Alexただ一つがAlexandraの愛称である」と理解していたことになります。

 

  では,事実はどうでしょうか? 英語の世界で検証します。

 

(6) The name [=Alexandra] has developed many short forms, some of which are now used as names in their own right. These include Alex, Alexa, Sandra, Sandy, Alexis and Alix.         (E. Wood, The Virgin Book of Baby Names, emphasis original)

 

  実際には,Alexandraの愛称は複数存在するので,出題者の理解は誤りということになります。

 

 実は,新井紀子氏は別の場所で次のように発言しています。

 

(7) 

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新井紀子. 2013.「平成24年国立情報学研究所市民講座第7回『大学生の数学力,なう-数学基本調査をよくみてみると?-』」

 

  「XはYである」が真であるからといって,XとYを入れ替えた「YはXである」が必ずしも真とはならないことを知っているはずの数学者でも「AlexはAlexandraの愛称である」と「Alexandraの愛称はAlexである」を同義文であると判断するという初歩的なミスを犯してしまうのです。

 

 数学ができるからといって,自然言語を使って論理的に考えることができることを保証するわけではないのです。

 

 しかし,と思わずにはいられません。

 

 教科書会社はなぜ誤りを指摘しなかったのでしょうか? 英語の教員免許の取得に関わる研究機関もどうして放置していたのでしょうか? 

 

   Alexをトピックとして始まるコピュラ文なので,property NPが続くと予測するのが自然言語の理解としてはもっとも自然な展開です。1

 

 いったいどうしてこんな状況が起こってしまっているのでしょうか? どこかで基本がなおざりにされている,ということに大きな危惧を感じます。

 

  この問題の続きは,どこかで取り上げてみたいと思います。

 

 次回は,「かつて大量の水があった証拠が見つかっているのは火星である」について考えてみます。

 

〔注〕

1.  これは,predicationalの readingでは,be動詞の後に定名詞句が続かないということを意味しているわけではありません(Alexをトピックとして,例えば,Alex is the winner.のような言い方は可能です。この点も含めて別の機会に論じたいと思います)。単に,(1)の問題文で「Alexは男性にも女性にも使われる名前」まで読んだ段階で,定名詞句が続かないと「予想」できると言っているに過ぎません。

 もっとも,この情報(Alexが単独で男女共通の名前として使うことができること)は,時系列から見ると,最後に提示されるべき情報でした。