現代英語の文法を探求する

英語学とその隣接領域に関する見解を個人の立場で記述しています。

帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です

 「日本科学哲学会第51回年次大会」の発表会場で配布した予稿集の電子媒体を掲載します(注1)。最初に,発表の場にご参加いただいた方々に,この場を借りて心から御礼を申し上げます。

 「帽子をかぶっていない子供は,みんな女の子です。」

 onlyの語法を考えているときに偶然に出会ったものですが,これは,考えれば考えるほど,実に面白い文です。個人的な印象で言うと,RussellのThe king of France is bald.と同じくらい思索をくすぐる文です。

 予稿集の切り口を絞って,内容を発展させ,査読付きの活字論文に仕上げた段階で,私の責務は終了と考えているのですが,今回の場合,どこに応募するのがよいのか見当がつかない状態にあることから,この場を借りて,読者にご教示をいただきたく,予稿集を公開する次第です。

 単純に,「教育」と「研究」という2つのカテゴリで考えてみます。

 前者であれば(いろいろと波乱と混沌を潜在的に引き起こす可能性がある,今回のAll non-P are S.をいったん考慮の枠外に退避させて),論理学系の標準テキストであれば,どれでも基本的に扱っていることが期待できるAll P are S.で考えることに方向を転換すると,これはOnly S are P.に還元できます。この場合,自然言語の用法では,「only S=all Sは成立しない」と確実に言えるのですが,予稿集の注21で言及した通り,言語のプロでも間違えている可能性があるほど簡単な問題ではないのです。

 他方,後者であれば,日本数学会の作成した問題は,本質的には「真理条件」に関係する問題ですが,自然言語の意味論の記述に関して,真理条件の「立つべき位置」について新しく論じることが,可能な論点の一つとなります(立論の可能性は,たぶん,片手では足りないのではないかと理解しています)。

 前書きが長くなり,恐縮です。

 査読論文に応募するときと少なくとも同様の労力と,それ以上の分かりやすさを心がけて,予稿集は記述してします(とはいえ,時間不足で,2/3程度がバタバタと進行し,詰めの甘さがあるのは,予稿集を見れば明瞭なのですが,それもすべて筆者の力量を示す指標です)。

  次回は,「第一回大学生数学基本調査」の「問1-2」に着目した理由について2つの視点から述べてみたいと思います。

 

注1:

  手作りの予稿集は,見開き2ページの構成で,左側が本文で,右側が注となっています。こちらの電子媒体のバージョンでは,両者は別々に表示されます。

 今回の電子媒体のバージョンでは,本文について, 4個所,誤字脱字を修正しています。また,最後の(28)と(29)について,説明文を追加しています。

予稿集本文とその注: