現代英語の文法を探求する

英語学とその隣接領域に関する見解を個人の立場で記述しています。

指差しが魔法のような力を発揮する(2)

                                     指差しが魔法のような力を発揮する(2)
 
1. はじめに
 前回は,「指差しが魔法のような力を発揮する」とは,どういうことか。三十字以内で書け」という設問が論理的にナンセンスであることを指摘しました。「魔法のような力」とは何か,作者自身が何も語っていないのですから,そもそも実体の欠片もない問題なのです。


    前回,言い落したのですが,「魔法のような」という比喩を使っただけで何かを言ったかのように錯覚する時点で,論理の筋道から脱輪することになります。


 どうも,国語・日本語教育では,例えば,(1)を見ただけで,受験生は書き手の意図が理解できるものと早合点しているようです。

 

(1) 良心とは影のようなものである。
(2) どこへ行こうと影が片時も離れることがないように,良心はあなたと共にあるので

   ある

 

 しかし,英語の世界では,書き手が(2)のような情報を後に続けることが期待されています。(1)で,書き手は良心:x=影:x というアナロジーが成り立つと述べていますが,「良心」と「影」の共通項であるxが何か自分の言葉で具体的に述べていないので,この時点では,実際には,「何も述べていないのに等しい」のです。


 (2)があることによって初めて,x=‘to be together with you’であることが分かるのです。また,この時になってようやく,「日が落ちると影は消える」という都合の悪い部分が捨象されていることにも気づくのです。つまり,比喩というのは無条件に成り立つわけではないので,比較している2者のどの部分にoverlapする共通項を見ているのか,書き手自身の解説が必要不可欠になるのです(また,これなしには,書き手の主張が正しいかどうか誰にも判断できないのです)。


 「平成30年度試行調査・国語・第1問」の論理的なおかしさ(or論理の崩壊)は,出題の形式を次のように変えると,なお一層際立つものになります。

 

(3) a. ことばのまったく通じない国に行って,相手に何かを頼んだり尋ねたりする状況

         を考えてみよう。この時には,指差しが魔法のような力を発揮するはずだ。つま

         り,(A)はずだ。なんと言っても,指差しはコミュニケーションの基本なのだ。
      b. 【文章I】の空所(A)を埋めるのにふさわしい内容を前後の文脈から判断して,三

         十字以内で書け(読点を含む)。 

 

    ここでは,作者が「指差しが魔法のような力を発揮する」とは何かについて,自身の言葉で説明していると仮定します。これを前提に,前後の文脈からだけで,(A)に入れるのにふさわしい内容を論理的に復元できるかどうか,先に進む前に考えてみてください。

 

2. 「英語の世界」では当たり前の「具体例」と「対比」が欠如している
 英語の世界から言えば,空所(A)は一般論を表すので,直後には,(典型的な)具体例が続くことが予期されます。一般論から具体例へ(あるいは,その逆に,具体例から一般論へ)と行き来があるおかげで,仮説が現実世界でどのように適応が可能なのか理解する手助けとなります。しかし,実際には,(3a)には,一般論という骨格に肉付けする具体例が欠如しています。


 英語の世界との比較で言えば,対比が成立していないという問題点も指摘できます。(3a)の最初の2文-つまり,次に引用する(4)-を基に,これと対比関係を成す内容を考えると(5a)のようになる「はず」ですが,実際には,(5b)になっています。

 

(4) ことばのまったく通じない国に行って,相手に何かを頼んだり尋ねたりする状況を

     考えてみよう。この時には,指差しが魔法のような力を発揮するはずだ。
(5) a. ことばがいくらかでも通じる国に行って,相手に何かを頼んだり尋ねたりする状

          況を考えてみよう。この時には,指差しは魔法のような力を発揮しない
      b. ことばを用いずに,指差しも用いないで,頭や目の向きも用いないで,相手に何  

          かを指示したり,相手の注意なにかに向けさせたりする状況を考えてみよう。

 

 対比というのは,補色の関係に似ているところがあります。大葉や笹の葉のような「緑」が添えられると,マグロの赤身の「赤」が際立つように,「指差し」の持つと考えらえる「魔法のような力」が際立つように添えられるのが,対比表現なのです。しかし,不幸なことに,【文章I】は,対比の構図が正しく描かれていません。


 結局のところ,「論理的な構成と展開」が正しく満たされていないので,(3a)および(5b)から,空所(A)に入るべき表現を論理的に推定することは不可能なのです。


 換言すれば,設問として成立していないのです。


 今日は,予定を切り上げて,ここで筆を置くことにします。


 前回,作者の意図を「忖度」してuniversalを「キーワード」に解答例を書いてみましたが,次回は,言語を獲得した後の段階では,「魔法のような力」をイメージできないことについて触れてみたいと思います。つまり,「指差し」に特有な特質を,「ことばのまったく通じない」状況で論じるのは的外れである(では,何を軸に論じればよかったのか?)について触れてみたいと思います。