現代英語の文法を探求する

英語学とその隣接領域に関する見解を個人の立場で記述しています。

0は偶数である(1) -考える喜び(と学力)を奪っているのは何か?-  

               0は偶数である(1)

         -考える喜び(と学力)を奪っているのは何か?

 

  1. はじめに

 数学の知識は,論理的に考えることを必ずしも保証しないようです。

 

(1) 

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        (「沖縄県立球陽中学校で研究授業をしましたRST. 2020年10月13日)

 

 (1)には,少なくとも,3つの問題点があります。最初の2つは(2)と関係します。

 

(2) a. 偶数に手を挙げた生徒が圧倒的に多数でした

  b. 球陽中の3年生がいかに定義を正確に読めるか,がわかります。

 

 仮に,(3)のような定義を提示した後に,その理解度を確認する目的で「0は偶数かどうか」尋ねたというのであれば,(2a)の事実から(2b)を結論として導き出すことは,論理的に妥当であると言えます。

 

(3) Even numbers are defined as those numbers that are divisible by 2; odd numbers  

     leave a remainder of 1 when divided by 2. 

                 (Y. K. Cheong, Mathematical Quickies & Trickies)

 

 (1)に再び目を向けると『意見が割れたときには,定義に戻ることが重要です。偶数の定義は?というと手を挙げて次のように答えてくれた生徒がいました』という記述があります。これは,定義から議論を始めていれば意見が割れなかった(はずだ)が,定義を飛ばして途中からいきなり議論を始めたら,意見が割れたので,議論の出発点を「定義を確認する段階」にまで戻すことでようやく,研究授業のクラス内で偶数の定義が確認された(=情報が共有された)ことを示しています。

 これは(2b)と矛盾します。つまり,『最初の問題』というのが,実際には「偶奇の定義に基づいて判断する問題」ではないので,(2b)を(2a)の帰結であると考える理由はないのです。

 もう1つの問題点は,この『最初の問題』というのが,学力の診断になんら有効なものではないことです。『最初の問題』は,単に「0は偶数である」ことを知っていたかどうかを尋ねているにすぎません。もう少し正確に言うと,「ある定義を知っている」ことを前提に,「0は偶数である」という知識を活性化させることができたか尋ねているにすぎません。

 

(4) Ask a mathematician whether zero is an even or an odd number? The answer would 

     be: If you define evenness or oddness on the integers (either positive or all), then zero

     should be taken to be even; but if you define evenness and oddness on the natural

    numbers, then zero would be neither. This is because we apply concepts such as

    “even” only to “natural numbers,” in connection with primes and factoring, where by

    “natural numbers” one means positive integers and so excludes zero.

                  (A. Bala and P. Duara eds., The Bright Dark Ages)

 

 (4)は議論の途中までしか引用していませんが,整数の性質を「正の整数」の範囲で考えるのか,0と負の整数を含めた「すべての整数」の範囲で考えるのかによって,「0は偶数である」という命題が真か偽かの判断が異なってくることが分かります。

 例えば,「4と6の最大公約数は何か?」という整数問題を解くときには,整数の範囲は「正の整数」に限定されるので,2の倍数[=偶数]は2から始まり,0は含まれません。

 結局のところ,整数の範囲を指定しないまま,「0は偶数である」が正しいかどうかを尋ねているのですが,これはまったく無意味なことです(強いて言えば,質問者の意図を忖度する「問題」となっています)。

  3つ目の,しかも,(1)に関する最大の問題点は,次の(5)にあります。

 

(5) 0÷2=0 あまり 0

   つまり,これは真の命題で,しかも証明がつきましたから,「定理」になりました。

 

 (5)がはらむ問題点はいくつかに分けて考えることができますが,それについては次回で取り上げることにして,ここでは『定理』という箇所に着目することにします。

 「2で割った時のあまりが0」という条件を満たせば,何でも『定理』になるのか?という疑問は脇において,「0は偶数である」が『定理』になるということは,ここからdeductiveに別のある知識を導くことができることを示唆します。

  x÷2=0は,x=2×0と変形できます(こう考えれば,x=0であることが見えやすくなります)。すると,「0は2の倍数である」と言うことができます。

 実際,(1)の後で,偶数の定義を「2n (ただしnは整数)と表せる数」と述べています。

 

(6) 

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        (「沖縄県立球陽中学校で研究授業をしましたRST. 2020年10月13日)

 

 以上を踏まえて,次に進むとしましょう。

 

(7) 偶数は2の倍数である

   0は偶数である                

     0は2×0に等しい

 

 (7)の推論は正しいと言えるのだろうか? (1)では,2つの前提(premises)を真として扱っているようなので,議論を単純化すれば,帰結が正しいと言えるのかどうかを考えればよいことになります。

 ちなみに,帰結の部分は,英語で表せば(8)のように表現できるでしょう。

 

(8) If x is zero, then x must be two times zero.

 

 RSTは,この問い(「(8)は真か偽か?」)にどう答えるのだろうか? いや,そもそも答えることができるのだろうか? これが3つ目の問題である。